【近江散歩】「日本一のうなぎ 逢坂山 かねよ」と「蝉丸神社」&「義仲寺」

徒然雑記
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ジェラ公です。

妻の実家のお墓参りで京都に行って、そのあと滋賀までちょっと足を延ばしてきました。

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逢坂の関(おうさかのせき/あふさかのせき)

逢坂関(おうさかのせき、あふさかのせき)は、山城国と近江国の国境となっていた関所。

東海道と東山道(後の中山道)の2本が逢坂関を越えるため、交通の要となる重要な関であった。その重要性は、平安時代中期(810年)以後には、三関の一つとなっていた事からも見てとれる。なお、残り二関は不破関と鈴鹿関であり、平安前期までは逢坂関ではなく愛発関が三関の一つであった。

Wikipediaより

小倉百人一首でも詠われています。

「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」—蝉丸(第十番)
「名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな」—三条右大臣(第二十五番)
「夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」—清少納言(第六十二番)

とくに蝉丸の歌は有名ですね。

「逢坂山関址」と「逢坂の関記念公園」が国道1号線沿いにあります。

日本一のうなぎ 逢坂山 かねよ

逢坂山といえば、うな丼(重)に大きな卵焼きを乗せた「きんし丼」または「きんし重」が有名な「かねよ」。

普通、きんし(錦糸)卵といえば細切り卵ですが、ここでは大きな厚焼き卵がドンと乗っています。

そのいわれについてはこちら↓

http://www.kaneyo.in/image/kinfo/kaneyomanga1-5.pdf

ここでランチ。

本店は個室で、要予約。(10%のサービス料がかかります)

すぐ向かいにある「レストラン部」は予約は必要なく、サービス料もかかりません。

メニュー

鯉も名物のようで、「鯉のさしみ」を頼んでみました。950円(税込1045円)。

白身でコリコリしていますが、ジェラ公夫は、後味がちょっと苦手な感じでした。(妻は食べていません)

つきだしの漬物。

入っていたお皿のうなぎがかわいい。

うな丼・うな重は、卵がない「鰻まむし丼(重)」と名物「きんし丼(重)」

やっぱりうなぎは「重」やろってことで、全員「重」を選択。

特きんし重。2800円(税込3080円)。

厚焼き卵は、卵3つを使っているそうです。卵の下にうなぎがもう一切れ。

ごはん大盛+100円ですが、普通盛でもけっこうな量だったので、普通盛で充分だったかなぁと思います。

特鰻まむし重。2800円(税込3080円)。

ごはんの中にもう一切れ。

娘は「卵はいらん。」ということでこっちにしましたが、ばあちゃんから卵をもらうと気に入ったようで、卵を半分弱ぐらいもらっていました。

肝吸いが付いています。

湯葉吸いも選べます。

大満足のランチでした。

食べログ↓

逢坂山 かねよ 本店

かねよレストラン部

蝉丸神社

食後は「かねよ」のすぐとなりにある「蝉丸神社」にお参り。

石段は48段ありました。

宮司さんが常駐していない、静かな神社です。

うなぎの「かねよ」と「蝉丸神社」は京阪大谷駅からすぐです。

無人駅ですが、1時間に3~4本あります。(京阪三条から15分・京阪山科から6分)

義仲寺(ぎちゅうじ)

ちょっと足を延ばして、「義仲寺」に向かいます。

「義仲寺」はその名の通り木曽義仲のお墓があるお寺。

源 義仲 (みなもと の よしなか)は、平安時代末期の信濃源氏の武将。河内源氏の一族、源義賢の次男。源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたる。木曾 義仲(きそ よしなか)の名でも知られる。『平家物語』においては朝日将軍(あさひしょうぐん、旭将軍とも)と呼ばれている。

以仁王の令旨によって挙兵、都から逃れたその遺児を北陸宮として擁護し、倶利伽羅峠の戦いで平氏の大軍を破って入京する。連年の飢饉と荒廃した都の治安回復を期待されたが、治安の回復の遅れと大軍が都に居座ったことによる食糧事情の悪化、皇位継承への介入などにより後白河法皇と不和となる。法住寺合戦に及んで法皇と後鳥羽天皇を幽閉して征東大将軍となるが、源頼朝が送った源範頼・義経の軍勢により、粟津の戦いで討たれた。

Wikipedia

江戸時代の俳人・松尾芭蕉が、かねがね義仲の生涯に思いを寄せ、生前からこの寺を定宿にしており、義仲の隣に葬って欲しいと言っていたため、大阪で亡くなった後、ここに葬られたらしいです。

木曽義仲の墓

松尾芭蕉の墓

翁堂

翁堂の天井画は伊藤若冲作

芭蕉が使っていた杖。細くて折れそうですね・・・😅

お寺の前の道は東海道

JR膳所(ぜぜ)駅・京阪膳所駅からも徒歩10分です。

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